眼が見えにくい子どもを持つ母親の気持ち~弱視

公開日: 

眼
こんばんは、ニナレナです。
弱視の記事を昨日書いたのですが、
同じように悩んでいる方の為にも
思い出したことを書きたいと思います。

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私が、息子の目の異常に気付いたのが
生後3か月の頃でした。

動くものを目で追う姿が可愛くて
いつも眼を見ていました。

すると・・・
目玉が微妙に揺れているのに気づきました。

恐ろしいほどの不安感に
襲われたのでしっかり覚えています。

先天性の眼の病気は多い~眼振

悩んでいるばかりではどうにもならないので
眼科を受診しました。

ところが、赤ちゃんだったので
大学病院を紹介されました。

大学病院では、もっと大きくならなければ
検査ができないので3歳になってから来るように言われました。

結局、「眼振」だけの診断で
それ以上のことはわかりませんでした。

その後・・・
3歳児検診でひっかり、眼科を受診。

また、大学病院に紹介され
今度は、ある程度の検査ができましたが
若い先生から、

「完全な検査が小さすぎてできていないけど
この子は失明します。」

と、言われました。

もちろん、たったそれだけの言葉では
納得いきませんでした。

もっと詳しく話をお願いしますと言ったら
教授にお願いしてきますと言われて・・・

5時間待たされた末、
誰も来てくれないので
尋ねたら今日は教授の話は
聞けませんと言われて帰りました。

それが、10年ほど前です。

それから5年後・・・
仲の良いママ友に相談して眼科医のご主人に
診てもらいました。

網膜色素変性症疑いという病名でした。
眼振
弱視
の病名もついていました。

それから医学が進み
IPS細胞などに期待が持てるようになりました。

網膜色素変性症も将来、治療ができるように
なると良いなあと思います。

成長過程で、弱視で困ったこと

成長過程で弱視であることで
困ることが多々あります。

ある程度は周りのサポートで
何とかなりますが、

理解して頂けないときは
可哀そうなことになります。

小学1年の時に弱視であることで困ったこと

体育の授業で、困らないようにと思い、
有名なスポーツ塾に入れました。

そこは、走ることや跳び箱、鉄棒など
学校で学ぶことをやってくれるところでした。

最初は、走ることから学びました。

ところが、体育館にトラックをテープで書いてあり
カーブに赤いコーンが置いてあるのですが
コーンが見えずにぶつかりそうになって内側を走ってしまったんです。

コーチは、「ズルをした」と
凄く怒られました。

本人からしたら
コーナの外を走るとか言われても見えないわけです。

走ってきて、目の前50センチ前くらいになって初めて
「何かある」よけなければ、ぶつかるというような感じだったのです。

それを伝えようにもコーチには通じませんでした。

親も遠くから見守るしかできずに
辛かったです。

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息子は、1日行っただけで
行かなくなりました。

何を言ってもコーチが信じてくれず
ずるがしこい子は、良くないと言われたようでした。

事前に目が悪いこと
よほど近くならないとわからないと伝えていましたが
ガッカリしました。

入会するときは、ベテランばかりだから
問題ないと言われて、高い入会金を払ったので
ガッカリでした。

小学校では、同じようなことがあっても緩かったです。

また、大縄跳びの縄が見えないために
みんなで飛ぶ瞬間を教えてくれた為に
大縄跳びは何とかなりました。

周りの理解とサポートがあれば
何とかなっていたのです。

4年生になったら孤立

残念なことに4年生くらいになると
周りの子が、異変に気付きだしました。

眼が悪いというだけで
無視されたり、いじめに遭ったりしました。

押し倒されたり、背中を足で蹴られたり
靴の型がシャツについて帰ってくるので
すぐにわかりました。

居場所がないときは
トイレの中で過ごしていたようです。

だんだん、男の子たちは
外遊びに行くようになりましたが
ボール遊びは見えないので
一緒にできずに教室で過ごしていたようです。

息子の視力は、0.02~0.04でした。

時々、少し良く見える穴に当たれば
もう少し見えるときもあったようです。

弱視の子どもは
身長が高くなればなるほど
足元も見えません。

だから、慣れないところを歩くと
怪我をして帰ることが多々ありました。

電信柱が、歩道の中に
あるときが一番危険でした。

おでこに大きなたんこぶを作って
青あざで帰ったこともありました。

高学年では・・・

学校でうまく居場所を見つけたのか
相変わらず、いじめに遭いながらも
頑張って学校には行きました。

無事に卒業できたので
良かったです。

中学受験の勉強が大変なようでした。

見えないので教科書は
拡大教科書を使っていました。

しかし、学校のは拡大教科書があるけど
塾のはありません。

なので、塾の教科書は
自宅で拡大コピーをして持たせました。

毎日、60ページ2教科ずつ
拡大コピーするのが大変でした。

しかし、息子も拡大鏡を使いながら
頑張って勉強して私立中学校に合格できたので
良かったです。

どんな状況にいても
努力は裏切らないと思いました。

息子の人生はこれからなので
今から最大の難関はやってきますが
前を向いて頑張っています。

小さいお子さんで
弱視を宣言された場合は、うちのような場合もありますが
治療で、眼鏡があれば矯正できることが多いです。

あきらめずに治療に専念してください。

もし、うちのように網膜の異常があり、
視力が出ない場合でも
それなりに生活はできるようになりますので
盲学校などに相談されてください。

うちも1年に1回イベントに行き
相談しています。

学べることがたくさんありますよ^^

眼が見えにくいお子さんをお持ちのお母様・・・
お互いに頑張って行きましょう。

子どもたちの為に!!

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